CrossConnection 03-03
CC
屋根を伝い、ナインとノアは慎重に移動する。
家屋の上は、夜の闇と相まって街路からナインたちの姿を見つけるのは難しいだろう。逃走には好ましい状況ではあるが、闇夜という条件はナインたちにも制約をかける。屋根の上の足場には、街の光が届かない。加え、現在月は翳っている。幸い、月を遮る雲は厚くなく、幾分かの明かりはある。
しかし、不安定な環境に相違はない。
そんな場所をナインは記憶を頼りに進んでいく。
……雑用の経験も活きるもんだな。
ナインが本業の合間にしていた雑用。屋根修理での経験がナインたちの進路の助けになる。その構造を知っているのと知らないのとでは進行速度に違いが出る。
「そこ、気をつけろよ」
ノアが足を踏み外さないように、繋いだ手に力を込める。
ナインは経験と持ち前の身軽さで足元の暗闇を補うが、ノアは違う。全く未知の領域だろう。あまり大きな音を立てないように、ノアに危険が及ばないように心ばかり慎重に進む。
あと少し進めば、裏通りに降りられる段差がある。そして、そこから目指すのは―――
王都の外。
《アイアンフェロー》の窓から抜け出し、少しの間ナインは屋根の上から追跡者と店主の様子を伺っていた。
追跡者は確かに神殿騎士団。先頭に立つ人物には見覚えがあった。神殿騎士団副団長のセルヴェイン。神殿騎士団に三人存在する副団長の一人。トラヴィオン王国の要所警護を主に取り仕切る人物。
捜索に駆り出されるというのは珍しい。
確かに要人警護の任に当たっているのは見たことがある。
しかし、要人誘拐の犯人捜索は畑違いだ。
それに最初から要人誘拐の犯人として、ナインを探しに《アイアンフェロー》にやってきた。酒場前の大立ち回りの主犯としてではなくだ。加え、あの人数の割には、訪問が早すぎる。複数の場所を同時に探索するのではなく、ここに人数を集中させてきた。よほどの確証を持っての訪問なのだろう。
極めつけは、騎士団の集団に紛れていた黒外套の男たち。
神殿騎士団とノアを追う組織には繋がりがある。
……厄介なことになった。
ナインは思う。
ノアの依頼を達成するには王国を敵に回す必要がある。それが確定した。まだ神殿騎士団しか動いていないようだが、すぐに各所から追われることになるだろう。街の人間を一人罪人として、でっち上げるのも神殿騎士団なら容易い。酒場での周囲を巻き込んだ立ち回りも悪い方に働くだろう。正直頭を抱えたい状況である。
「んっ」
それを力が籠ったノアの腕が制する。
……まったく世話の掛かる依頼人だ。
「降りるぞ」
ノアは静かに頷く。数件の屋根を渡り歩き、《アイアンフェロー》を挟んで反対側の通りに降りることのできる段差をナインはノアに先んじて降りて見せる。
「ほら、こい。外套の裾を引っかけないように注意しろよ」
裏路地の片隅で、ナインはノアを受け止めるために両手を広げてみせる。
頭を抱えている暇なんてない。ナインは決めたのだ。
ノアは先程のナインの動きに倣い、両手足を使い、段差を数段下る。そして最後、少し高めの段差からナインに向かって、跳んだ。飛び込んでくるノアの身体を、ナインはしっかりと受け止めた。
ノアの望みを叶える。そのために――― 王都から出る。
その進路を取っていた。
王都は夜にも関わらず、騒がしかった。
少し前までは、祭りの後を引く騒ぎだったが、今は酒場で起こった小火への対応。そして、その中核となった人物を確保するための動きで騒然としていた。
陰から陰へとナインたちは先を急ぐ。
伊達にこの街で荒事をこなしていたわけではない。こういう場合の逃げ方をナインは心得ていた。そして―――
王都からの抜け出し方も。
トラヴィオン王国には、地下水路が存在する。それは生活に使った水や雨水を排水するための下水道。
王都で発生した下水はこの地下水路から王都の外へと排出される。地下水路には、街の至る所から下りることができ、人が歩くことができるスペースも存在する。
しかし、この地下水路から王都の外へと出ることはできない。
王都の外へと行くのは下水のみ。通路は王都の外へと繋がっていない。更に水路であっても流れる先には格子が設けられており、流れに乗って外に出ることは不可能だ。
では、どうすれば王都の外へと抜け出すことができるのか。
その道筋は、もう一つの地下道にある。
トラヴィオン王国には、地下水路とは別に、王城から王都外へと続く一本の地下道が存在している。
ナインはそれを有事の際に王族が王都から抜け出すための隠し通路なのだと当たりをつけている。
そして、その隠し通路は、地下水路に接する箇所が存在した。地下水路からその隠し通路に侵入することができるのだ。
巧妙にカモフラージュが施してあり、薄暗い地下水路では、見つけることが極めて困難な通用口。その存在を、ナインは街の雑用で地下水路に下りた時に見つけていたのだ。それは全くの偶然だったが、ナインはその隠し通路を、本業で王都から出入りする時などに秘密裏に使用していた。
ナインが最初に隠し通路に侵入した時、その内部は全く使用されている形跡はなかった。
トラヴィオン王国は建国されて長い。そして、トラヴィオン王国は大陸の中でも強大な国。建国の際には周辺諸国との騒乱があったが、その後順調に勢力を広げ、強大な国として君臨し続けた。先の帝国との戦争でも王都まで攻め入られることは終ぞなかった。王国は建国時の騒乱以降危機に瀕した場面はない。有事の際に作られたこの隠し通路は、その有事に瀕することがなかったため、忘れ去られた産物となっていたのだ。
隠し通路は、侵入口は何箇所か存在するようだったが、基本的な構造は一本道だ。通路を辿れば、王都の外へと出ることができる。老朽化により、崩落していた箇所もあったが、大きな崩落ではなかったので、その箇所はナイン自ら修復を行った。もちろんそれを知る者はいない。文字通りの隠し通路となっている。
その隠し通路へと至るため、ナインたちは街を駆けていた。
まだ、地下水路へは潜らない。地下水路には、光がない。
移動するためには、灯りともす必要がある。もしその状態で捜索隊に遭遇すれば即刻見つかってしまう。地下水路は隠れることができる場所だ。そこから王国の外へと抜けられるのを知らないからといって捜索の手が伸びないとも限らない。
だから、地下水路に入るのはなるべく目的の地点の近くにしておきたい。
隠し通路の入り口近くに下りられる目的のポイントは、城門からほど遠い。捜索隊の包囲網に引っかかることなく、ナインたちは目的地近くまで来ていた。
「あーあ、面倒なこった」
人の声に反応して、ナインたちは建物の陰に留まり、息を潜める。目的のポイントは声の主のすぐ隣だ。ナインは息を殺し、声の主の様子を窺う。そこにはナインの見知った顔があった。
「教か……」
「運良く目標のナインくんと要人さんが出てこないものかねー。ちゃちゃっと捕縛して神殿騎士団のとこに連れて行くんだけどなー」
「っ……」
ナインは出しかけた言葉を堪える。そこにいるのは、スパーソン教官。聖歌騎士団の団員を鍛える立場にあり、王国の騎士団の一員。先程の言葉の通り、ナインたちは追われる者で、スパーソンは追う者。助けを求められる間柄ではないのだ。
スパーソンは、煙草に火を点け、
「にしてもあの黒外套の集団は何様なのかねぇ。頭ごなしに神殿騎士団に命令しているみたいだけど、やっぱ国のお偉いさんにつながりがあるんだろうなー。仕切ってるのがセルヴェイン副団長だから第三王子になるのかな」
独り言を続けた。
「まったく……末端はいいようにこき使われて辛いわ―。黒外套の人たちも十五人以上はいそうだし、自分たちで探しゃあいいのによ。それに何やら要人さんの居場所がある程度わかっているみたいだし、僕まで駆り出さなくてよくないかな」
まったくこの人は……。
ナインの口元には笑みが浮かんでいた。
「さあてね、さすがにこんなとこにナインくんは来ないだろう。ここから外に出られる所があるなんて僕ぐらいしか知らないだろうしね。異常なしと報告して、他のみんなと同じように正門裏門の監視にでもいくかなーっと」
スパーソンは煙草の煙を吐き、ナインたちの隠れる物陰へと視線を向ける。
「まあどっちにしても、元教え子を捕まえる立場にはなりたくないものだね」
そう呟くと煙草を加え、ナインたちが隠れる物陰とは反対方向へと歩いて行った。
スパーソンがその場を立ち去り、少し間をおいて、ナインたちは動き始める。ナインは先程までスパーソンがいた場所にしゃがみ、地下水路へと繋がる天蓋の隙間に腰から引き抜いた剣をねじ込む。天蓋はガコッと音を立てて外れ、その下には暗闇の空間へと続く階段が現れた。
「ノア、行くぞ」
そう告げ、ナインは足を踏み出す。その時、後ろに控えていたノアがくいとナインの服の裾を引いた。
「あの人は……いい人?」
そのノアの問いかけにナインは堪え切れず、
「ああそうだな。騎士団を辞めた今でも変わらず俺の教官だ」
ふっと笑みを浮かべていた。
情報をありがとうございます、スパーソン教官。
家屋の上は、夜の闇と相まって街路からナインたちの姿を見つけるのは難しいだろう。逃走には好ましい状況ではあるが、闇夜という条件はナインたちにも制約をかける。屋根の上の足場には、街の光が届かない。加え、現在月は翳っている。幸い、月を遮る雲は厚くなく、幾分かの明かりはある。
しかし、不安定な環境に相違はない。
そんな場所をナインは記憶を頼りに進んでいく。
……雑用の経験も活きるもんだな。
ナインが本業の合間にしていた雑用。屋根修理での経験がナインたちの進路の助けになる。その構造を知っているのと知らないのとでは進行速度に違いが出る。
「そこ、気をつけろよ」
ノアが足を踏み外さないように、繋いだ手に力を込める。
ナインは経験と持ち前の身軽さで足元の暗闇を補うが、ノアは違う。全く未知の領域だろう。あまり大きな音を立てないように、ノアに危険が及ばないように心ばかり慎重に進む。
あと少し進めば、裏通りに降りられる段差がある。そして、そこから目指すのは―――
王都の外。
《アイアンフェロー》の窓から抜け出し、少しの間ナインは屋根の上から追跡者と店主の様子を伺っていた。
追跡者は確かに神殿騎士団。先頭に立つ人物には見覚えがあった。神殿騎士団副団長のセルヴェイン。神殿騎士団に三人存在する副団長の一人。トラヴィオン王国の要所警護を主に取り仕切る人物。
捜索に駆り出されるというのは珍しい。
確かに要人警護の任に当たっているのは見たことがある。
しかし、要人誘拐の犯人捜索は畑違いだ。
それに最初から要人誘拐の犯人として、ナインを探しに《アイアンフェロー》にやってきた。酒場前の大立ち回りの主犯としてではなくだ。加え、あの人数の割には、訪問が早すぎる。複数の場所を同時に探索するのではなく、ここに人数を集中させてきた。よほどの確証を持っての訪問なのだろう。
極めつけは、騎士団の集団に紛れていた黒外套の男たち。
神殿騎士団とノアを追う組織には繋がりがある。
……厄介なことになった。
ナインは思う。
ノアの依頼を達成するには王国を敵に回す必要がある。それが確定した。まだ神殿騎士団しか動いていないようだが、すぐに各所から追われることになるだろう。街の人間を一人罪人として、でっち上げるのも神殿騎士団なら容易い。酒場での周囲を巻き込んだ立ち回りも悪い方に働くだろう。正直頭を抱えたい状況である。
「んっ」
それを力が籠ったノアの腕が制する。
……まったく世話の掛かる依頼人だ。
「降りるぞ」
ノアは静かに頷く。数件の屋根を渡り歩き、《アイアンフェロー》を挟んで反対側の通りに降りることのできる段差をナインはノアに先んじて降りて見せる。
「ほら、こい。外套の裾を引っかけないように注意しろよ」
裏路地の片隅で、ナインはノアを受け止めるために両手を広げてみせる。
頭を抱えている暇なんてない。ナインは決めたのだ。
ノアは先程のナインの動きに倣い、両手足を使い、段差を数段下る。そして最後、少し高めの段差からナインに向かって、跳んだ。飛び込んでくるノアの身体を、ナインはしっかりと受け止めた。
ノアの望みを叶える。そのために――― 王都から出る。
その進路を取っていた。
王都は夜にも関わらず、騒がしかった。
少し前までは、祭りの後を引く騒ぎだったが、今は酒場で起こった小火への対応。そして、その中核となった人物を確保するための動きで騒然としていた。
陰から陰へとナインたちは先を急ぐ。
伊達にこの街で荒事をこなしていたわけではない。こういう場合の逃げ方をナインは心得ていた。そして―――
王都からの抜け出し方も。
トラヴィオン王国には、地下水路が存在する。それは生活に使った水や雨水を排水するための下水道。
王都で発生した下水はこの地下水路から王都の外へと排出される。地下水路には、街の至る所から下りることができ、人が歩くことができるスペースも存在する。
しかし、この地下水路から王都の外へと出ることはできない。
王都の外へと行くのは下水のみ。通路は王都の外へと繋がっていない。更に水路であっても流れる先には格子が設けられており、流れに乗って外に出ることは不可能だ。
では、どうすれば王都の外へと抜け出すことができるのか。
その道筋は、もう一つの地下道にある。
トラヴィオン王国には、地下水路とは別に、王城から王都外へと続く一本の地下道が存在している。
ナインはそれを有事の際に王族が王都から抜け出すための隠し通路なのだと当たりをつけている。
そして、その隠し通路は、地下水路に接する箇所が存在した。地下水路からその隠し通路に侵入することができるのだ。
巧妙にカモフラージュが施してあり、薄暗い地下水路では、見つけることが極めて困難な通用口。その存在を、ナインは街の雑用で地下水路に下りた時に見つけていたのだ。それは全くの偶然だったが、ナインはその隠し通路を、本業で王都から出入りする時などに秘密裏に使用していた。
ナインが最初に隠し通路に侵入した時、その内部は全く使用されている形跡はなかった。
トラヴィオン王国は建国されて長い。そして、トラヴィオン王国は大陸の中でも強大な国。建国の際には周辺諸国との騒乱があったが、その後順調に勢力を広げ、強大な国として君臨し続けた。先の帝国との戦争でも王都まで攻め入られることは終ぞなかった。王国は建国時の騒乱以降危機に瀕した場面はない。有事の際に作られたこの隠し通路は、その有事に瀕することがなかったため、忘れ去られた産物となっていたのだ。
隠し通路は、侵入口は何箇所か存在するようだったが、基本的な構造は一本道だ。通路を辿れば、王都の外へと出ることができる。老朽化により、崩落していた箇所もあったが、大きな崩落ではなかったので、その箇所はナイン自ら修復を行った。もちろんそれを知る者はいない。文字通りの隠し通路となっている。
その隠し通路へと至るため、ナインたちは街を駆けていた。
まだ、地下水路へは潜らない。地下水路には、光がない。
移動するためには、灯りともす必要がある。もしその状態で捜索隊に遭遇すれば即刻見つかってしまう。地下水路は隠れることができる場所だ。そこから王国の外へと抜けられるのを知らないからといって捜索の手が伸びないとも限らない。
だから、地下水路に入るのはなるべく目的の地点の近くにしておきたい。
隠し通路の入り口近くに下りられる目的のポイントは、城門からほど遠い。捜索隊の包囲網に引っかかることなく、ナインたちは目的地近くまで来ていた。
「あーあ、面倒なこった」
人の声に反応して、ナインたちは建物の陰に留まり、息を潜める。目的のポイントは声の主のすぐ隣だ。ナインは息を殺し、声の主の様子を窺う。そこにはナインの見知った顔があった。
「教か……」
「運良く目標のナインくんと要人さんが出てこないものかねー。ちゃちゃっと捕縛して神殿騎士団のとこに連れて行くんだけどなー」
「っ……」
ナインは出しかけた言葉を堪える。そこにいるのは、スパーソン教官。聖歌騎士団の団員を鍛える立場にあり、王国の騎士団の一員。先程の言葉の通り、ナインたちは追われる者で、スパーソンは追う者。助けを求められる間柄ではないのだ。
スパーソンは、煙草に火を点け、
「にしてもあの黒外套の集団は何様なのかねぇ。頭ごなしに神殿騎士団に命令しているみたいだけど、やっぱ国のお偉いさんにつながりがあるんだろうなー。仕切ってるのがセルヴェイン副団長だから第三王子になるのかな」
独り言を続けた。
「まったく……末端はいいようにこき使われて辛いわ―。黒外套の人たちも十五人以上はいそうだし、自分たちで探しゃあいいのによ。それに何やら要人さんの居場所がある程度わかっているみたいだし、僕まで駆り出さなくてよくないかな」
まったくこの人は……。
ナインの口元には笑みが浮かんでいた。
「さあてね、さすがにこんなとこにナインくんは来ないだろう。ここから外に出られる所があるなんて僕ぐらいしか知らないだろうしね。異常なしと報告して、他のみんなと同じように正門裏門の監視にでもいくかなーっと」
スパーソンは煙草の煙を吐き、ナインたちの隠れる物陰へと視線を向ける。
「まあどっちにしても、元教え子を捕まえる立場にはなりたくないものだね」
そう呟くと煙草を加え、ナインたちが隠れる物陰とは反対方向へと歩いて行った。
スパーソンがその場を立ち去り、少し間をおいて、ナインたちは動き始める。ナインは先程までスパーソンがいた場所にしゃがみ、地下水路へと繋がる天蓋の隙間に腰から引き抜いた剣をねじ込む。天蓋はガコッと音を立てて外れ、その下には暗闇の空間へと続く階段が現れた。
「ノア、行くぞ」
そう告げ、ナインは足を踏み出す。その時、後ろに控えていたノアがくいとナインの服の裾を引いた。
「あの人は……いい人?」
そのノアの問いかけにナインは堪え切れず、
「ああそうだな。騎士団を辞めた今でも変わらず俺の教官だ」
ふっと笑みを浮かべていた。
情報をありがとうございます、スパーソン教官。
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